死を予想するということ

会社近くの定食屋で夕食を食べた後、お財布をゴソゴソやっていたときに緊急地震速報が鳴った。
狂った海猫みたいなぶわっぶわっという叫びを久しぶりに聞いて、瞬間的に固まった。
まずあの音で動けなくなってしまう人は多いと思う。
もちろん少しでも早く揺れを予測することは大事なんだろうけど。

その瞬間、来たか、と思った。熊本の恐怖が、関東にもやってきた・・・
自分が、というより、これで日本もダメかも、と思ってしまった。
これで首都が壊滅したら、もう日本は立ち直れないと。
そんなことはないのかもしれない。
ないのだろう。
ないことを願う。
落ち着きを取り戻した今は。
でも、その瞬間は、なぜかそう感じた。
たぶん私は、人をではなく、この国を信じていないのだろう。

帰宅時、乗り換えるはずの路線は、まだ止まったままだった。
別の路線の駅から歩いて帰る。
途中でひとり減り、ふたり減り、ついにはあたりに人影はまったくなくなった。
閉ざされた住宅街の灯りは少なくて、私に娘がいたら絶対に歩かせない道だ。
そこを、鬼の形相で歩く。
ひったくりに取られそうになっても、私はバッグを離すまい、と予想した。
それで命を盗られるかもしれない。
でも。
襲うなら襲え。
私のほうが絶対カネがない。
というより必要だ。兄と母のためには。
私はバッグを離さず、襲い返そうと決意する。
おまえの身ぐるみ剥いでやる。
それで兄の抗がん剤を買うのだ。

だから。
怖くなかった。
地震よりずっと。
いや、一番怖いのはやっぱり緊急地震速報かな。
死ぬどれくらい前に危険を知らされるのが一番怖くないのだろうか、とふと思った。
兄は抗がん剤をやめるかもしれないと言っている。


# by kazemachi-maigo | 2016-05-16 23:31

恐怖の原因

熊本地震が起こってから10日が経った。

私の怖さは徐々に深まっている。

私のところはびくっとも揺れなかった。

それなのに、私はあれから怖くてしょうがない。
テレビも小説も音楽も何も楽しめない。

どうしてこんなに怖いのか考えてみた。

いや、考えるまでもない。

その原因はわかっている。

大きな地震が起こって建物の下敷きになって死ぬ。火が出て焼け死ぬ。そうじゃない。

そうじゃない。

私は。

それでも逃げようと必死になり、生き残るのが怖いのだ。

私と、母と、兄。私と母。私と兄。

実家のボロアパートが被災したとして、どこへ避難すればいいのだろう。

近くの小学校?公民館

わかる。わかるとも。

でも、そこまでどうやって行けばいいんだろう。

兄がいなかったら。

あるいは癌がこのまま進んで臥していたら。

母が歩けるのは数メートル。

私が車椅子を押して歩いていけるところに、その避難所はあるのか?

いや、そもそも私が実家に駆けつけることすらできないのではないか。

東日本大震災のときには、すべての交通機関がストップした。

ひとりで過ごすことのできない母を誰が助け、どう看てくれるのか。

世帯数の少ない集落ならともかく、それなりに人口も多い1軒1軒を、逃げ遅れた人がいないか、誰か見回ってくれるのか。

母は、避難所の床では座れない。腰が悪いので、椅子でないと腰かけられない。

何かにつかまらないと独りで立つこともできない。

トイレは間に合わないであろう。

痴呆が進むに連れて食べものや人の好き嫌いがひどくなっているので、たぶん何も飲み食いしないだろう。

兄が臥していたらどうなるのか。

病院は、抗がん剤治療より優先すべき瀕死の重傷患者であふれるのではないか。

行政の力抜きに、別の地域の病院や施設に入れるおカネは私にはない。

そも、私自身が、今体調不良と闘いながら仕事を続けている。

検査すれば病名がつくのかもしれないが、その治療にかかるおカネと時間が惜しいので検査はせず対症療法でしのいでいる。

今日も熱が出たので、5時過ぎに退社した。

明日は終電必至。

ギリギリのバランス。

つまりは、生き残っても死ぬのである。

もしも、家屋の倒壊などで一瞬にして死ぬのであれば、生き残って苦しい避難生活を続けるよりラクかもしれないなどと考える。

けれども。

きっと逃げるだろう。逃げようとしてしまうだろう。

それが怖い。

阪神淡路大震災のときも、私のところは揺れなかった。

朝、テレビをつけて、高速道路が落ちている画像に愕然とした。

けれども。

私の恐怖は、その「揺れ」に対するものだけで、揺れの記憶が遠ざかるとともに、被害への実感は薄らいだ。

まことに薄情なものだった。

その頃は、私が背負っているものは、今よりうんと少なかった。

実家は貧しいなれど、まだ父も母も兄もそれぞれに自立していた。

熊本も大分も、地理的には阪神よりずっと遠い。

だが、今私が感じている恐怖の実感は、実際に揺れた東日本大震災をしのぐかもしれないとさえ思う。

東日本のときは、父は末期の癌で入院していたから、その行き先を案じることもなかった。

母と兄もそれなりに元気だった。

私はただそのとき、そこに駆けつけるだけで良かった。

だが、今は違う。

私には、逃げてからの恐怖がつきまとう。

命が助かってから、生き残ってから、どうするのか。

避難所で過ごす疲れ切った人たちの姿がテレビに映るたび、私の全身は粟立つ。


ひとつ前の記事に逃げなかった人々のことを掲載してある。
あのとき、逃げなかったのに助けられたかたがたは、今どうされているのだろう。

避難所から仮設住宅に移り住み、そこからどうしただろう。

ああ、あのとき助かって良かったと思える暮らしを手に入れることができただろうか。

生きていて良かったと思っていて欲しい。

今、余震と豪雨と土砂崩れに怯え、ギリギリの精神状態でそれでも懸命に命を繋いでいるすべての人たちが、それでも生きていて良かったと思えますように。

その願いと祈りだけが、私を恐怖から救う唯一の手立て。


# by kazemachi-maigo | 2016-04-24 17:03

逃げなかった人々

もう5年なのか。
まだ5年なのか。
かつて仕事で、ニュースでは報道されなかった被災者のナマの声を聴く。

逃げなかったんだって。
高齢者たち。
車椅子の人たち。
寝たきりの人たち。


家族や近所の人たちが、逃げようって説得しても、家が流されて何もかもなくなるなら、このまま自分も家にいて、一緒に流されたほうがいいって。
そしてそのまま、流されたんだって。
介護していた家族も一緒に。

家がなくなっても、命さえあればなんとかなるって、思えない社会なんだ。
高齢者や障がい者、病気の人たち。
この機会にいなくなってしまおうって、思ったんだ。
思わせてしまったんだ、この国は。


語ってくれた女性は、60代。
ご主人が障がい者で車椅子に乗っている。
その人も、逃げないって言い張って、1回目の津波に耐え、それでも逃げないで、2回目の津波も浴びたって。
助かったのは、たまたま、他のところより地形が幸いしたから。
流されて沈んだけど、偶然、地面に足がついたって。
そしたら、自衛隊の人に助けられたって。
でも、地獄のようだったと。


それでも。
ご主人は、今も言っているという。
次にまた地震があって、津波が来ても、やっぱり逃げないって。
家と一緒に流れて行きたいんだって。


命だけじゃダメなんだ。
助かっただけじゃダメなんだ。


彼女の傍らには、ほとんど寝たきりとなってしまった夫がいる。
慰めにとつけているのかテレビの音がかなり大きい。
それが邪魔をして、録音された音源は、かなり聞きとりにくかった。


普通ならば、自宅(といっても仮設だが)に来客(インタビューアー)があって、聞き取り調査をしていれば、すこしは気を遣って音量を下げそうなものだが、すでにそういうこともできないのか、するつもりもないのか。
妻もまた、操作しようとはしない。


そして、インタビューの応答の端々に、夫への不満、介護のしんどさが滲む。
おそらくは、こういう機会が訪れるまで、誰にも告げずにきたのだろう。
夫がくも膜下出血で倒れてから、実に19年ものあいだ、彼女はたったひとりでその面倒をみてきたという。


介護の問題点を問う質問の答えが、しだいに夫の悪口になる。
介護で何が一番大変かと尋ねると、怒鳴り散らされること、と答えた。


その答えは、傍らでテレビを見ている夫に、聞こえたものか、聞かせたものか。
いや、そのバリケードのために、テレビの大きすぎる音量があるのかもしれない。
双方のためのバリケード。


大津波が来たとき、自分は逃げないけど、お前らは逃げろと言った人がたくさんいたと、彼女は語った。
高齢や病気や障がいで、自分ひとりで動くことのできない人たちは、自分はもういいから、家族は逃がしてやりたいと思ったのだ。
自分はいいから、お前ら逃げろ。


だけど、置いて行かれませんもんねえ。
それで、看ていた人たちも一緒に流されて行ったんです、と。


地震が来ても、津波が来ても、逃げる気はないと言った夫。
長きにわたる介護の果てに、尽くしてきた夫に怒鳴り散らされながら、それでも、置いていけないですもんねと、この妻も言って、逃げない夫に付き添った。
次にまた津波が来ても、きっと逃げないだろう。


人の心を一枚岩のように語るのは好きではない。
人はみな、愛しながら憎み、憎みながら愛するものなのだ。
初めて会った他人さまに、連れ添ってきた夫の悪口と介護の愚痴を言いながら、自分と夫の命の危機には、夫を見捨てることができない。


逃げなかった人々。


命さえあれば、とか、死んだ気になれば、とか、いろいろ励ます言葉はあるけれど、言葉では救えない暮らしがある。
こうやって、今も、たくさんの被災者、介護者が生きている。


# by kazemachi-maigo | 2016-03-11 23:17

母を預けられない、日本死ね。

「親を預けられない」で検索すると、「親に子供を預ける」関係がずらりと並ぶ。

いやいや、そうじゃないのよ、「親を預ける」話なのよ。

次のページで、ようやく「親の介護、施設に預けることは悪ではありません。」てのが出てくる。

それがまた、お決まりの「ひとりで抱え込まず、施設を利用しましょう」みたいな話でうんざりする。

悪も善も関係ないの。

預けられるところがないことを嘆いているの。

保育所落ちて、お子さんを預けるところがなくて働けない人の嘆きもあるけれど、特養も老健も、うんとうんと足りないのよ。

でも「利用しましょう」みたいなのがヒットするのは、高いおカネを払えば引き受けてくれるところがあるから。

でも、おカネがない人は、利用できない。

保育料って、いくらくらいなんだろう?

いくら払ってお子さんを預かってもらって、いくら稼いでペイするの?
でも、共働きだから子供を預けるってことは、夫の収入もあるわけだよね。

今、母を預かってくれるところは、安くても月に15万。

介護保険の適用限度額分を加えるとさらに2万。

月17万出さないと、預かってくれるところはないの。

目一杯働いて、給料右から左。

下手すると追いつかない(^_^;)

だったら働かないで、自分で看ろって言われちゃう。

でも、それだと食費も光熱費も出ない。

今、兄が癌だから、そっちの治療費でふたりの年金全部持っていかれる。

抗がん剤って高いのね。

ならやめる、って自分なら言えるけど、きょうだいだから言えない。

これで、私が病んで、働けなくなったら、母を看られなくなったら、生活とかどうなるの?

母を預けられたら、昼間の仕事の後、副業できるのになぁ。

土日だけ別のところで働けるのになぁ。

たとえ時給850円のバイトでも、できるのとできないのとでは全然違う。

でも、母を預けられない。

なでしこが負けたとか、聖火台がないとか、そんなことどうでもいい。

社会に参加したいとか、必要とされたいとか、生きがい論なんかくそくらえ。

働きたいんじゃなく(働きたくないよ~)、働かないと生活していけないのに、母を預けられない。

都知事はかつて親の介護を経験したことをウリにしていたけど、昨年のロンドン・パリへの出張費は、20人5泊で5000万円なんだってね。

そういえばサミットの夕食代が3000万円って、ドラマ「民王」で言ってたけど。


# by kazemachi-maigo | 2016-03-08 18:16

ご無沙汰しております。

閲覧、ありがとうございます。
残念ながら、読みたいブログのほとんどが更新もないので、私もこちらは無沙汰となっています。
ただ、これまでたくさん写真を投稿してきたので、画像の保存用として削除しないで放置するつもりです。

毎年1度は書いている、1年に1度しか行かない喫茶店の記事は、別サイトのサブブログにアップすることにしました。
愚痴と想いを書き散らかすメインブログもそのサイトにおいていますが、限定公開です。
ごめんなさい。

よろしければ、一般公開のサブブログで梅と珈琲の記事をご覧ください<(_ _)>

「さなみん」

# by kazemachi-maigo | 2016-03-06 14:04 | 散歩

これが絶望ってやつか

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# by kazemachi-maigo | 2015-10-17 13:03

負けないぞ、おー!

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# by kazemachi-maigo | 2015-09-27 13:26

憤りの日々

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# by kazemachi-maigo | 2015-09-12 16:46

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# by kazemachi-maigo | 2014-10-09 20:59

帰郷

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# by kazemachi-maigo | 2014-10-08 19:17